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城山エコミュージアム見どころ紹介

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 1  雨降地蔵  雨降の地蔵
(あめふらしのじぞう) 
 嘉永3(1850)年安置。「子宝」「子育て」「イボ取り」地蔵として参詣されている。今も地域の人による地蔵講(念仏講)が続けられている。台座には、「大山道」「高尾道」と記されている 
 3  境川   境川
(さかいがわ)
 雨降地区と町田市大地沢の県境に流れを発した境川は、町田市南端で神奈川県へ入り、水源から52q先の片瀬江ノ島で相模湾へ注いでいる。上流部では清流にカワセミが飛び交っている。 
 5   城山湖 城山湖
(しろやまこ) 
 昭和40(1965)年完成の人造湖。かつては本沢という境川の源流であった。今は「本沢調整池」として夜間余剰電力を用いて津久井湖の水をこの城山湖に溜め、電力需要に応じて発電している。城山湖掘削で出た土で本沢梅林、コミュニティ広場やその他の施設ができた。 
 7  下馬梅  下馬梅
(げばうめ) 
 豊臣秀吉の小田原攻めで八王子城が落城した。津久井城へ知らせに走った武将が津久井の落城を知りここで下馬し、ムチ代わりに持っていた梅の枝を道端に突き刺したという。 この梅はその時突き刺した梅の枝の子孫だという伝承がある。 
 8  加藤武雄文学碑   加藤武雄文学碑
(かとうたけおぶんがくひ)
城山町町制10年と加藤武雄没後10年を記念して建立された。当地生まれの傑出したベストセラー作家であり、小説の多くが映画化されている加藤武雄の若き日の書「わが日は暗しわが夢ははるか也」が石碑に刻まれている。文学碑設計は武雄の三女敏子の夫で建築家丹下健三による 
 11  評議原  評議原
(ひょうぎっぱら) 
いつ頃の戦いだったのか。小松城の武将が落城について評議したところと伝えている。現在では「金刀比羅宮参道尾根歩きコース」の紅葉が美しい休憩スポットとして人気がある。 山歩き以外の山仕事の人々も休憩場所にしている。 
 16 城山自然の家 城山自然の家
(しろやましぜんのいえ)
 環境教育のために旧城山町が建設し平成6(1994)年開所。開所当初から城山自然の家協会を作り、自然観察団体等が利用している。内部には、自然愛好団体の活動の産物が展示されている。現在、施設利用は要予約。外部にあるトイレはいつでも利用できる。
20 原宿地区を流れる原宿用水    
原宿を流れる原宿用水

町屋地区の小松川に架かる原宿用水架橋    
水架橋(町屋地区)  
 原宿市跡、原宿用水
(はらじゅくいちあと、はらじゅくようすい)
 原宿は江戸時代の幕府の指示により計画的に作られた集落。久保沢の市がにぎわい盛況が続いたことで、運営等について争いが起こった。時の代官はもう一つ市を作ろうと原宿に市を開かせた。久保沢市のトラブルも収まり、新しい原宿市も発展した。現自治会館付近が原宿市の跡である。
 17世紀初期、原宿の開発に伴い集落へ水を引こうという当時としては大工事が行われた。水の乏しい原宿地区へ北方の境川の広田地区から水路を掘削して水を引いた。整然と短冊形に配された家屋の南北に合計4本の水路が掘られ境川の清流が導かれていた。流れにシジミが棲息するほどの清流であったという。

21 大山道標
大山道標  
 大山道標
(おおやまどうひょう)
 近世には江戸を中心に大山(現神奈川県伊勢原市)へ登り参詣する「大山講」が盛んだったので、各地の要所に大山への道中「道しるべ」が残っている。上図は大山不動(原宿自治会館前)、下図は川尻八幡宮前の道標。 
23      飯縄権現堂
(いづなごんげんどう)
 普門寺裏山に創建された戦神だが、当地では養蚕の神として崇敬されており、毎年1月14日が例祭日。例祭日には「繭」の豊作を記念して繭玉(うるち米粉で作った団子)を備える。地元では親しみを込めて「ユズナサマ」と呼ばれている。 
 24  春林横穴墓群  春林横穴墓群
(しゅんりんおうけつぼ)
 川尻小学校と相模丘中学校の西側にある。谷津川の谷を望む、丘陵の南西斜面につくられている。横穴墓は7世紀中頃から後半、標高160mから170m付近の赤土に掘り込まれており、これまでの調査から全体の数は100基を超えると予想されている。
 26   若葉台  若葉台
(わかばだい)
 人口約2,500人、住宅約950戸の住宅地。開発前の字名「谷津」には、里山と谷津田が色づき湧水が小川を作り野鳥がさえずる田園だった。高度経済成長時代に都市近郊住宅地として開発された。古くからの農村に新しい風を吹かせ、自然と共生する新しい住宅地である。谷津時代の地名を公園や広場、通り等の名称に残している。写真は造成工事中の様子。
  29  三嶋神社(中沢地区)  三嶋神社
(みしまじんじゃ)
祭神は事代主命。例祭は8月23日。境内には養蚕無事を祈る蚕影神社があり、当地が古くから養蚕地帯であったことを物語っている。大鳥居前には石造物群がある。 例祭には子ども神輿が渡御し、境内ではお囃子や演芸等で賑わう。 
 31      都井沢観音堂(慈眼寺) 
(といさわのかんのんさま・じげんじ)
 安産祈願で近在に有名な「都井沢の観音様」として親しまれている。この地区の念仏講で唱える歌に「大悲の山の…雲」という一節が残っている。慈眼寺は、大悲山慈眼寺、宗派は新義真言宗である。なお今も、安産祈願する人は底を閉じない袋を観音堂の戸に吊るすという風習が残っている。
  32   久保沢市跡
(くぼさわいちあと) 
 久保沢は、西の山地と東の平地を結ぶ要にあることから、江戸時代初期の代官が地元の2人の名主に「久保沢市」を開かせた。市は大変繁盛したという。広瀬病院前の周辺が市跡で、市神(宇賀神)が久保沢観音堂の境内にある。
 34   喜多梅巌碑
(きたばいがんひ)
 文政12年(1829)江戸深川生まれの文人。都井沢八木家を継ぎ、江戸に出て山内香雪に学び、川尻村都井沢に戻り、近隣の子弟を教えた。書・絵画・篆刻をよくした文人。明治5年(1872)病没
 36    川尻石器時代遺跡
(かわしりせっきじだいいせき)
 国指定史跡。この地にはたくさんの敷石住居の跡があり、昭和6年(1931)文部省から重要な国の史跡と指定された。その後続けられた研究で、縄文時代の大規模な集落があったことがわかった。 
 38    久保沢・清水
(くぼさわ・しみず)
 古くから久保沢・向原・谷ケ原の人々の生活用水として使われてきた湧水が出る場所。歴史的地名標柱が建っている。川尻石器時代遺跡の人々もこの水を利用していたのではないかと考えられる。 
 40 城山ダム   城山ダム
(しろやまだむ)
 昭和40(1965)年完成の城山ダム(津久井湖)は、かつて桜の名所「サンコウク」と呼ばれた横浜水道「第三工区」。現在は県立津久井湖城山公園水の苑地として津久井湖の景勝豊かな公園として整備されている。 
  41   小倉橋・新小倉橋
(おぐらばし・しんおぐらばし) 
 小倉橋は昭和11年(1936)着工、昭和13年(1938)7月31日竣工の神奈川名橋100選に選ばれた鉄筋コンクリートの名橋。 新小倉橋は「津久井広域道路」の一部として平成元年着工、平成16年(2004)3月完成した。新橋完成後、小倉橋は「土木遺産」に選ばれている。  
 42    渡船場跡
(とせんばあと)
 北の旧川尻村向原と南の対岸小倉を隔てる相模川の幅はおよそ72m。昭和13年堅固な鉄筋コンクリート造の小倉橋が出来るまでは、「平田船」2艘(大型・小型)が結んでいた。 
 43   大カゴノキ
(おおかごのき) 
 クスノキ科の常緑高木。幹周3.2m。樹皮が小鹿の班模様なので「鹿子の木」と呼ばれる。選定当時の樹齢は、300年。
 昭和59年に神奈川名木100選に選ばれた。
 
 45    横浜水道トロッコみち
(よこはますいどうとろっこみち)
  横浜水道は明治政府が横浜の外国人居留民に衛生的な良質の水を供給しようと取り組んだ最初の官制の大工事で、英国工兵士官パーマーに任せ3年で実現した。明治18(1885)年着工した工事の第一工区は小倉橋川尻側の桂川亭東から現在の相模川清流の里までの相模川沿いの山道であり、通称トロッコ道という。工事は明治20年に完成した。 
 47   田野倉仙蔵頌徳の碑
(たのくらせんぞうしょうとくのひ) 
 明治維新以後の日本は「民権家」が活躍した時代である。田野倉仙蔵は三多摩の壮士として活躍する一方、村の小学校建設や地租改正などで村政にも大きく貢献した。碑の纂額は板垣退助の揮毫である。またこの地域には自由民権運動で熱弁をふるった武藤貞二という人物もいた。 
53    姥石
(うばいし)
葉山島地区中部の藤木川を遡ると、山姥が指一本で谷底に落としたという姥石がある。この地の人々は日照りが続いた時にはこの石に水を掛けて雨乞いをしたという。 
 54   葉山島の水田地帯
(はやまじまのすいでんちたい) 
 旧津久井郡で最も広い水田は、相模川の豊かな水を利用した葉山島の水田地帯だった。 開田するまでには、葉山島東林寺第34世斎藤法如和尚の先見性と不屈の努力があった。 和尚は地元関係者と協力して度重なる洪水被害も乗り切り、現在の美田をもたらした。 

随時更新します。ご期待ください。

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事務担当:相模原市立城山公民館 042(783)8194【直通】

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