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地元大野台を学ぶ Jimotogaku Oonodai

「景観の変遷」report

「大野台の店舗の歴史」

大野台では昭和40年代までは商店の数も少なく、相模原米軍キャンプの西門前に発展した商店街に買い物に行く人や昭和後期になると地域の個人商店も増えてきましたが、まだ「しずおかや」の巡回バスで買い物に出かける人などがいました。

活動報告写真 大野台1丁目と3丁目の境界では、昭和後期には大野台ストアなど多くの商店でにぎわいました。現在も特徴のある商店が多く営業しています。(大野台商店会)



活動報告写真 大野台6丁目と7丁目の間を走る大野台七丁目郵便局のある道には、酒屋、日本蕎麦屋、八百屋などの商店が多く並んでいました。(すみれ商店会)

「変わる大野台 景観変化10選(平成27年)」

御嶽神社の改修

昭和22年に中淵野辺の皇武神社より分神創祀された御嶽神社の鳥居、玉垣などが一新されました。

神社前の通り

神社改修と前後して大野台5丁目信号に向かう道路の改修が進み歩行者通路が確保されました。



昭和の文化住宅は…

昭和時代に多く作られた住宅も長い年月を経て老朽化し年々減少しつつあります。
写真の住宅もその内の一つで現代的な集合住宅に建て変えられています。(大野台7丁目)



市民農園、貸農園の減少

土地所有者の世代替わりもあり、各地にあった貸農園は減少の傾向にあります。
空地は、いずれ住宅などに転用されていくのでしょうか。



森、林の減少

写真は、大野台3丁目の特別養護老人ホーム大野台幸園とそれが建設される前の林の様子を示したものです。



役割を終えた雨水調整池

写真は、大野台5丁目にあった雨水を一時的に貯めるための調整池です。
雨水管の敷設でその役目を終え、平成26年に埋め戻されました。



森も変わっていく

大野台を代表するこもれびの森。多くの人が散策を楽しむ場所ですが、この森も地元ボランティア、自治会の努力で森の保護とより快適な散策の為の遊歩道の整備が行われています。



ブドウ園から工業団地へ

昭和27年から続き、名前もよく知られたゲイマーブドウ園、ゲイマーワインが約60年の歴史を閉じ、工業団地(協同組合Sia神奈川)へと変わりました。現在約20社が操業しています。



物流拠点であった大野台の変化 商業施設へ

大野台は北側に16号線が走り、かつては物流拠点として大型倉庫などが多く進出していました。
しかし近年は圏央道の新設にみられるように道路事情も変わり物流会社の合理化も進んでいます。
物流会社の撤退した跡地には商業施設の建設など周辺住民を見込んだ様々な業種の進出が始まっています。
大野台2丁目にあった日本通運倉庫跡にはニトリモール、水谷商事跡地には大型店のクリエイトが進出しました。





「大野台の店舗の変遷(平成27年)」

大野台の小売店の変化

大野台の商店の過去70年間の歴史を見ると下の図のように、概ねその時代の消費スタイルに沿った変化をしてきたことがわかります。
大野台では昭和40年代までは商店の数も少なく、相模原米軍キャンプの西門前に発展した商店街に買い物に行く人や昭和後期になると地域の個人商店も増えてきましたが、まだ「しずおかや」の巡回バスで買い物に出かける人などがいました。



「国道16号線の変遷」

16号線は時代の流れをみてきた

16号線沿線の店舗、工場、会社の移り変わりはその時代の世相、流行を反映しています。



「大野台の公共施設、病院の変遷(昭和49年〜平成22年)」

大野台小学校が開設される以前は…

昭和49年に大野台小学校が開設されるまでは大野台地区には小、中学校はありませんでした。
従って、
小学校は大野小学校、共和小学校

中学校は大野南中学校、大野北中学校、共和中学校に通いました。


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相模原市立大野台公民館

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